土曜日, 12月 23, 2006

緩和医療について

今 大津秀一著作の「死学」を読んでいます
活字が追えないほど 胸詰まる章もあり
通勤電車でしか 読書の出来ない私は
電車の中で 涙を落とすことも しばしばです

住環境を福祉的な観点で捉える資格を取得中であり
その勉強の中にも 医療のことがたくさん出てきます

私は医療関係には全く 従事した経験がなく
教本を読んでも さっぱり その病気がなんなのか
その医療措置がどういったものなのか 見当がつきませんでした

この本の中には 医療の具体的な患者に掛ける負担や
それが生命や本人の苦痛にどれだけ影響されるかが描かれています
よく聞く医療行為が こういうことを意味するのだと
改めて分かると 私や家族が当事者になった場合
とても 苦痛を伴うのだなと感じました

今 介護の勉強を始めようかと考えていた矢先に
医療という大きな壁があるのだと 感じました
専門的な勉強はこの年齢では難しいでしょうが

福祉住環境の教本に載っていた 医療措置の内容は
熟知するべきだと感じました


※福祉住環境コーディネーターの資格取得中です
現在、1級の取得目指して 勉学中です

日曜日, 12月 17, 2006

ハンドメイドが当たり前の概念

開拓時代でもないのに・・・・
私の実家は その昔 父が増築をしていました
平屋を二階建てにしたのも 父親でした

実家には 父が作ったという箪笥がありました
洋服ダンスです
宮大工の親の元に生まれ 父は何でも作りました
床を張ることもしましたし 
私の勉強部屋も 父が作ってくれました
学習机も 父が作りました

なんて 素晴しい親なんだろうと 今は尊敬できますが
その頃は 子供心にたまには店で買ってくれ。と思いました

母は 洋裁や和裁が出来たので
仕立てはお手の物で 洋服も既製服など買ってもらった記憶がなく
高校時代の冬物のコートは
友だちのコートを数日 借りて
型紙を起こして 母が作りました

ハンドメイドというと 聴こえはいいですが
手作りは安価だからです
既製品は高価な時代でしたから
少しでも 家計を切り詰めるための 親の工夫だったのでしょう

冬の放課後 整列して 帰り道・・・
ちょっとだけ 色目の違うボックスコートを着ているのが私でした

それでも 通っていたのは私学でしたので
親の子への思いが伝わる出来事だと・・・
今になって 感謝をしています

洋裁

中学生の時には 母が購読していた婦人雑誌の付録を持ち出して
棒針編みを始めました

編み物は寝食忘れて 打ち込めました

マフラー ミトン 5本指の手袋 ベスト 帽子 セーター

成人になってからは 人に編んであげるのも好きだったので
母には型紙を起こして サマーセーターなども編みました


高校生の時には 本格的に型紙からの洋裁をしました
これも 母に教えてもらい 
採寸 型紙 裁断 縫製
高校二年生の夏休みには 自分のワンピースを仕立てました

それから 何着 作ったか覚えていないくらい
洋裁は好きで 作りました

今は針と糸さえ 持つことがありません
嘘のような思い出です

探せば・・・たぶん 初めての作品は残っているはずです

文章を綴ることと手芸

小学生から文章を綴るのが好きでした
その頃から日記を書き始め 大学ノートに何冊も増えましたが
引越しごとに 行方が分からず・・・今は手元にありません

手先は器用なので
ほとんどが自己流でマスターしてしまうので
肩書きがありません

ステンシルを好んでいたときには
教本を数冊 購入して 自分なりの解釈で作業を進めていました
図案集は日本にはいいものがなかったので
洋書を求めたり

好きな絵画を図案に落とし込んで 版を起こしたり
終日 没頭していて 時間を忘れることもしばしばでした

趣味の域を越えることはなく 手慰みで終わってしまいました


その頃にはデジカメもなかったし
作品の保管もなく

出来上がったものは知り合いに差し上げたり
展示会で販売してしまいました

何も残っていませんが・・・

ひとつだけ 階段の踊り場に飾ってあります

素敵に暮らすことって・・・

難しいでしょうか?

容易いでしょうか?

費用の掛かることもありますが
そこに住まい手の感じ取り方にも「素敵」の度合いに大きく関わるように思います



おもてなしをする。

それは客人があるからではなく
家族であったり もちろん 自分自身にももてなす工夫が
快適な暮らしに繋がるように感じています

時代

素直なことが とてもよいことだと 正直だけを自分に課して生きてきた
嘘が嫌い 誤魔化したり 繕ったりするのが 得意じゃなくて・・・・
要領が悪いことに繋がりますが

ずるいことをすることは 自分を裏切ることのように思えて
せずに暮らしてきたけれど

誤魔化したり 繕ったりした そんな時代は経てきたかも知れません

生きるうえでの 生活と言うのは 消費・支出が伴うもので
生活を続けるためには 収入を得なくてはなりません

ほとんどサラリーマンが 天職を得ているかと問えば
「yes」と応える割合はもちろんのこと 少ないでしょう
そこに居心地の悪さを帳消しにするのは バランスの取れた収入だったりします
不当な労働環境にあれば 疑問や放棄も生まれる訳です

私は生きるに足りる収入を得ていますが
余るほどの報酬を得ているわけもありません

余るほどの報酬を得るためには それなりの策が必要です
高学歴 長けた能力 培った経験 特化した知識などなどでしょう


 今に不満を言い始めれば その路線を選んだ自分の世界観を問い質すべきで。

不満ではなく 今を変える必要を感じているのは
自分なりの拙い目標を掲げていることで
そこに到達するためには どの道に進むのか そんな環境を選ぶのか
そういうことに迷い始めている ここ数年です

40歳半ばで青い考え

・・・30代の自由な発想は許されない後ろめたさも感じながら 無責任に振舞うつもりはなかったのだけれど 自分に正直なあまりに傷つけた人もたくさんいたかも知れませんね

未熟な故に
振る舞いの荒さがあったのかも知れません


子どもを持ちながらも 独立した生活を目指す 果てに離婚 そこには「欠陥」という 人生の烙印を押してしまったこと


何よりも不自由を強いたのは 子供達にで、あって 申し訳ない思いと
決してこの決断が誤りではなかったと伝えられる人生を歩みたいと思っています

生活を重視した収入を得る作業を続けてきたけれど
本来の自分の目標を目指すためへの時間を 
ここで費やさせて欲しいと思います

福祉的な観点を持てるように 勉強をしています
「福祉」という概念の中に どっぷり浸かることには抵抗がありました
なので・・・始まりは 「福祉住環境」から 入りました

資格取得から 得る実感は・・・
家という箱をどれだけ住み易く工夫をするかは
その人の姿勢だし 生きる喜びや豊かさを味わえる人だけの特権

そして そこに暮らす人のパーソナリティにも
喜びや豊かさの違いは生じるのだと感じています


  「生きる喜び」
 
大仰な捉え方じゃなく 毎日がつつがなく過ごせ 不安や不満の小さい毎日を
どれだけ 積み重ねられるか。。。じゃないかと思います

変化してきた環境

手工芸が好きで 教室なども開いていましたが
あるきっかけでホームページの作成の仕事にシフトする生活になりました
今は企業に席を置き、マガジンの編集を主にしています

ここ数年、心豊かに暮らすことって どういうことだろうか?と 自問自答します

私の生きてきた道のりの背景は 常に「家族」に守られ
「家族」を尊ぶ自分があったように 感じています

自然と学び始めたのは「暮らす空間を福祉的な観点で・・・」
「福祉」でも 住環境に重きを置き、私は勉強を進めてきました
建築の知識などや金融などの情報にも敏感に
何を目指しているのか。。混沌とする中、

私は長年 離れて暮らす 一人暮らしの母と 心地よく向き合いたい
それが テーマなんじゃないかと この頃 強く感じています